学院長宋群(日本言語文化学博士・元日中文化事業協会理事)
により、日中友好の懸け橋となり、未来の国際社会を担って立つ優秀な人材の育成を目標に国際人文外国語学院として東京都板橋区にて産声を上げました。
1998年には日中共同宣言が出され、日本と中国にとって、世界における経済、平和友好の役割はますます大きくなっていきました。
両国の共栄に湧き上がる中、宣言に先立つ1994年には、当校は東京都中野区の現在の5階建ての校舎に移転、明日の世界を背負う優秀な若者で教室は埋めました。
1998年には日中共同宣言が出され、日本と中国にとって、世界における経済、平和友好の役割はますます大きくなっていきました。
2003年には、中国大連に進出し、合作学校及び培訓センターを作り、また日本語教育普及のため、大連市の各高校の日本語教師を対象者に、定期的に日本語講座を開催し、日中交流に役立つ人材の育成に貢献してきました。
東日本大震災や、リーマンショックなど、さまざまな厳しい経験を踏まえ、21世紀、日本はアジア、世界の中で大きく役割を変えようとしています。当校もアジアの平和と発展のために、中野弥生町に分校をあげ、東南アジア各国から留学生を受け入れるようになり、国際社会を大きく動かすことのできる人材を、ここ中野区から世界へ送り出すべく、毎日、教鞭を握っています。
これまでの卒業生は7500名を越え、現在、弁護士、通訳、会社経営者、銀行支店長、日本語教師、IT技術者など、アジアの各地で活躍しています
当校にとって教育、それは人格育成に他ならないということをモットーにして
アジアから集まり参じる若者とともに成長して参ります。